2020年2月8日(土)
マイナス3.5℃だった昨日から見れば、今日は穏やかな曇り空です。
60年代終盤の、フォークが流行る直前は良い洋楽がたくさん出た時代でした。その中でも特に思い出に残るのが「西暦2525年」でした。
当時は歌詞など分かるはずもなく、In the year 2525が3535になり、4545、5555、6565、7510、8510、9595になった後曲調が変わり、また2525に戻るという感じで、西暦9595年の次は何があるのだろうと思いをはせ、今までにない壮大な曲として心に刻み込まれたものです。
今では翻訳がWebでできるので和訳が簡単に分かります。
Excite翻訳後に私が手を加えた和訳が次のようになります。
ネットで出ている和訳とは少し違うかもしれません。
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2525年に
もし人間がまだ生きているならば
もし女が生き延びることができるならば
彼らは気がつくことができるかもしれない
3535年
真実はもはや必要ない
嘘も必要ない
考えること、すること、言うことは
すべて今日飲んだ錠剤の中にあるから
4545年
歯はもう必要がない
目ももう必要ではない
人類は物を見ようとはしないし
誰もあなたを見ようとはしていない
5555年
腕はただぶら下がっているだけ
足は何もしようとはしない
機械が代わりにしてくれるから
6565年
夫はもはや必要ではなく
妻も必要ではない
息子は摘まみ上げればいいし
娘も摘まみ上げればいい
長いガラス管の底から
7510年
もし神が人類のそばに現れることができるなら
神は周囲を見回してこう言うだろう
「裁きの日が近づいている」
8510年
神は英知に満ちた頭を横に振り
どちらかしかないと言う
人類がこの終焉を迎えた時代に満足して存在するか
全てを捨て去って再び出発するか
9595年
人類がまだ生きているかは疑わしいが
人類はこの古い地球が与えてくれたすべてのものを手に入れ
そして何一つ返していない
西暦10000年
人々は今になって10億粒の涙をこぼした
決して彼らが考えてこなかったことで
今、人類の時代が終わる
永遠の夜が続く
星のきらめきは
遠い遠いところにいってしまった
つい昨日のようなことなのに
西暦2525年
西暦3535年
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西暦10000年が人類に訪れるかどうかは別として、こんな壮大な曲は今現在にも存在しないと思います。
過ぎてしまえば、1000年も2000年もあっという間。人類が行く方向を誤ると取り返しがつかないことになるというような歌詞をロックで表現するなんて。
神が登場する西暦だけが、7510年と8510年というのも何か意味があるのでしょうね。
英語のニュアンスとキリスト教の意味が理解できていないので、彼らの詩を正確に表現していないかもしれませんが思いだけは伝わります。
ゼーガーとエヴァンズの出身地が不明なのですが、アメリカ出身だとすればキリスト教プロテスタントの可能性が高いです。
プロテスタントにおけるキリストは、生誕後のことを言っているそうですから、西暦8510年に登場してもおかしくはないですね。
歌詞の流れから行けば、9595年にはもう神は存在していないか、人類のもとを去ったように思えます。10000年にまだ5億の人類が残っているのでしょうか。
これがロックで聴けるなんて何とも興味深い。